復帰1周年にまさかインドネシアチームと仕事をしているとは思いもよらなかった

復帰1周年にまさかインドネシアチームと仕事をしているとは思いもよらなかった

気がつけば俳優業本格復帰1周年を迎えていた。
去年の今頃、とある長編映画に出演オファーをいただいてクラインクインした。老犬はまだ生きていて、夫やペットシッターさんや近所の犬家族友達に支えられて、私は約一ヶ月間に及ぶ撮影を乗り切った。その映画撮影があったことと、クランクアップ後数週間で老犬が亡くなったことが重なって、私はしっかり復帰する時が来たことを理解した。


それでも去年は模索が続いたり、どんな方向に進みたいのか自問したりする期間をゆっくりとっていたのだけれど、1周年を迎えた今、ありがたいことに大変忙しく、1年前の自分では全く想像できないことになっていて驚いている。

人生、常に、1年後が予想通りだったことなんて一度もなかった。
だから特段驚きもしないのだけれど、それにしたって、予想が出来なさすぎる状況にある。
英語だけでインタビュー動画の撮影をしたり、英語だけで映画撮影の演出を受けてシーンを乗り切ったり、予想もしなかった様々な国の監督や技術チームの皆さんと一緒に撮影をしていたりする。もちろん日本の撮影にも参加しているけれど、以前とは全然違う環境に自分で意図的に自分自身を放り込んでいるし、そのようなチャンスに恵まれていることには感謝の気持ちでいっぱいだ。

来年の今日、またどう思っているのか、予想できないし、予想したって無意味であることはこれまでの人生で十分すぎるほどに証明されてきている。

1年考え続けてやっと、自分がどこへ向かって舵を取っているのか、分かり始めてきた。それはこれから先に、少しずつ変化するかもしれないけれど、少なくとも自分がどうなりたいのか、どう在りたいのかが、少しずつだけれど言葉になり始めている。

私は今、小さくて誰も気が付かないかもしれないけれど自分にとっては非常に重要なことを、ちゃんと大切にしたいと感じている。そういうことの積み重ねが、どこかから何となく「匂う」のだということをやっと感じ始めている。

それは世間一般に言われている、「丁寧な暮らし」とか古い言い方で言うならば「ロハス」だとか、そういった穏やかそうに見える何かとは、ちょっと違う。

もしかしたら見方によってはそう見えている部分もあるかもしれないけれど、一番大切なのは、自分の心に正直に生きているかどうかなのだった。

芝居について考える時にも、小さなことの積み重ねが、映像になった時に、画面に漏れ出ていけば、いいなと思っている。それは分かりやすい表現とは違うもので、即座に「いいね!」とはならないものかもしれないけれど、私は多分、自分の芝居に退屈したくないし、怖くても新しいことに常に挑戦し続けたいし、安牌にどかっと腰を下ろし続けたくはないのだと思う。わざわざそれをやるから、もちろん消耗も激しいけれど、それでも知っている手段を組み合わせただけで、そこそこなものを提出して終わりとはしたくないなと思っている。じゃなきゃ、わざわざ復帰した意味を見失うかもしれないから。

私は去年の作品を、老犬の最期の時間と並行して取り組んで、その間に老犬とたくさんの会話をした。今でも迷う時や自信がなくなりそうな時は老犬の何かと会話をする。それは妄想かも知れないけれど、結構役に立っている。

疲れた時は老犬と会話をする。
もう肉体がないから、そういう妄想ごっこというか、ちょっと頭がおかしいペットロスの人みたいな話にも聞こえなくもないのだけれど、本人は割と淡々と「会話」している。それでまた、勇気を出して、立ち上がって、頑張る。

どれだけ支えてくれる人たちがいても、最後はやっぱり孤独で、自分との戦いからは逃れられない。それは一人で向き合うしかない部分であり、最後の最後で大切になってくる部分でもある。

自分が正直に向き合ったことはカメラに映るんだなということを、一つずつ、自分への信頼として積み重ねているのだけれど、人間は欲深いもので、もっと正直に、もっと深くと思いながら毎回進んでいる。

全然楽じゃないし、何かに逆行しながら進んでいるようにも思うこともあるけれど、わざわざ選択して仕事をしているのだから、そこはちょっと頑張ろうよと自分にいつも言い聞かせている。